23.夏の終り

TLTSA23

瀬戸内晴美『夏の終り』読了。原作を読むと、映画がいかに駄作であったかがわかる。脚本家も監督もまるでわかっていない、と思わず文句を言いたくなった。そして、原作はさすが瀬戸内晴美、体を張っているひとは違う、と感嘆しきり。
私も年をとっても恋愛し続けるタイプだとは思うけど、それを作品化できるかというとまた別な話。できないだろうなあ。できない、たぶん。そんな勇気ない。でも、その一方で、愛の問題に身を削りながら突進していく瀬戸内晴美の小説は、あられもない女の姿なのかもしれないけれど、物書きってそういうあられもないところを読者に見せてなんぼなんじゃないかという思いもある。そう考えると私の文章なんて子供のお絵描きみたいなものですね。

以下、本文中で一番好きだったところ。
《慎吾(=知子の別れたばかりの恋人、妻帯者)が無意識に、距離感に左右されて、つい知子の新しい家を訪れることが億劫になるのも、知子が家の雑用や仕事に追われることで、あれほどの涙を忘れてしまっていったのもつまりは、生活という雑事と習慣の繰返しが、意外な強さで人間の感情や感傷を、のみこみ押し流していくせいなのかもしれなかった。そしてそれは知子に、慎吾とのかつての生活が、やはり、愛や情緒より、生活の習慣と惰性で保たれていたことを、今更のように思い返させていた。
慎吾と別れたら、慎吾もじぶんも、生きていけないのではないかと、本気でおそれていたあの長い歳月の暗示は、いったい何にかけられていたものだろうか。知子は急に、憑き物が落ちたような虚しさと白々しさの中にいるじぶんを感じていた。同時にひどく軀中が軽くさわやかになっているのを認めないわけにいかなかった》

ここまで書いちゃうんだもん、逃げ場ないですよ。