01.ひとりで眠ることを学ぶ。

TLTSA01

昨日、脚本家の友人S君の書いた連続テレビドラマをDVDで観た。もう3年ほど前の作品らしい。S君のことが好きだから最後まで見たれけど、美男美女のカップルが喧嘩ばかりしていて、私はすっかり疲れてしまった。

ジャンルはラブコメディーということになっている。確かにラブコメディーにおいて、“じゃじゃ馬ならし”はひとつの定番だが、どうやらその歴史はテレビドラマにおいて脈々と受け継がれているらしい。俳優たちも喧嘩のシーンとなると力の見せ所とでも言いたげに丁々発止とやっていた。
“立て板に水”ってこういう口調をいうのだろうなと私はぼんやり考えた。現実の喧嘩は、言い間違えたり、訂正したり、澱みの多い会話になりがちなのにね。

そのことを知人に報告すると、「ああ、俺もあれ観たけど、あのドラマは8割喧嘩していたね」と言われた。そして、「喧嘩しているのを観て、何が楽しいんだろう」という私の小声のつぶやきは、「“あるある”ってやつじゃない?」と軽く流されてしまった。

あのドラマを「あるある」と笑いながら身近に感じるひとたちがマジョリティならば、私はマイノリティなのだろうか。ロケ地は私が昔住んでいた街で、そこここが見慣れた景色のはずなのに、登場人物はみんな早口、ものすごいスピードで話が展開し、まるで違う星のドラマを観ているようで私はずっと落ち着かなかった。私がよくやるように「ちょっと落ち着いて考えましょうよ」とお茶を淹れるひとは出てこなかった。すぐに別れる別れないという話になり、私がよくやるように「完全なひとなんていないのだから、少し様子を見たらどうかしら」と受け流すひとも出てこなかった。

毎週、大勢のひとたち楽しみにしているラブストーリーが愛の話ではなく、衝突の話なのだとしたら、私は少し悲しい。みんな夢中になって、結婚や家庭や子供を巡るドラマを観るけれど、そのゴールに置かれたものは喜びであって、幸せではない。それぞれのひとにとって幸せの形は違うから。
だけど、あなたと私、幸せの形は違っても、免れぬ共通の宿題はある。

人間は死ぬ。
ひとりで死ぬ。

だから、神様が私たちに与えた大きな宿題は――たったひとつ、私たちが与えられた共通の宿題は、
”ひとりで眠ることを学ぶ”。