03.カッコーの巣の上で

TLTSA03

随分前から再見したいと願っていた映画『カッコーの巣の上で』をDVDで観る。
初めて観たのはいつだったのか考えてみると、かれこれ30年前。
先週観た『真夜中のカーボーイ』も30年ぶりだったことを思えば、さすがに私もいい年になるはずだ。

近頃、思うのだが、自分が考える以上に私はアメリカン・ニューシネマに影響を受けているのではなかろうか。『カッコーの巣の上で』はもちろん、『ファイブ・イージー・ピーセス』『俺たちに明日はない』『明日に向って撃て!』『フレンチ・コネクション』『タクシードライバー』e.t.c…。アメリカン・ニューシネマを好んで観ていた、というよりも、アメリカン・ニューシネマの流行った時代に映画をよく観ていた、ゆえに影響を受けた、というのが正しい表現かもしれない。しかし、10代のときに観た映画の影響というのは大きなもので、それが当時の流行だとしても、その流行は自分の精神的土壌を作ってしまう。

アメリカン・ニューシネマの主人公たちは、社会の規範や権力に倣うことを拒絶し、抗い、大抵結末で挫折した。けれど、それがどんな結末であろうとも(=挫折の結末であろうとも)、10代の私が目を見開き、映画の中から掬い上げ、凝視していたのは反逆の精神だ。彼らは私に、間違っても“長いものに巻かれろ”とは教えなかった。“予定調和に満足するな”と教えてくれた。個の自由について、あれほどまでにさまざまな角度からライトをあて、考える機会を与えてくれたのがアメリカン・ニューシネマだったことを思うと、私はとても幸福な十代を過ごしたことになる。

これがひとまわり下の女友達が相手となると、彼女たちが影響を受けたのは、90年代に流行ったヌーヴェル・ヴァーグのリヴァイヴァルブームで、まるで趣味がかみ合わなくなるから面白い。彼女と私の間を、アンナ・カリーナとジャン=ポール・ベルモンドが繋ぐことはあっても、彼女たちにとって『カッコーの巣の上で』は興味をそそる映画ではないのだろうし、薄毛のジャック・ニコルソンはセクシーでも何でもなく――ああ、マクマーフィーがロボトミー手術を受けて病室へ戻ってくるときのショックを、ネイティヴアメリカンのチーフが朝霧に消えていく後ろ姿を知らないなんて!――そう、世代というのはこうやって創られるのだろう。決して景気がどうした、政治がどうした、それだけの話ではなく――。