46.見つめていたい

TLTSA46

明日から仕事が始まるので今日のうちに黙々と広東語の復習を。半年ほどお休みしていたけれど、今年はまた授業を受けるつもり。でも、復習しながら思ったのは、広東語は何年勉強しても私には習得できないだろう、ということだ。読めるようになるとは思うけど、喋れるようにはならないと思う。そして、喋れるようにならなくてもいい、とも。広東語会話の上手な日本人を見ていると、自分とは違うタイプのひとばかりだし、喋る楽しみを覚えると、見ることがどうしてもないがしろになってしまう。そうなるぐらいなら、私は喋れなくてもいい。友達などできなくていいから、いろいろなものをじっくり見たい。いろいろな色を見つめたい。そして、写真に撮りたい。文章に書きたい。

 

 

45.土ふるい

TLTSA45

一月三日にもなり、特にお正月らしいことをしない私は、仕事のない日常にすっかり飽きている。早く社会が通常運転を始めればいいのに。そんなことを考えながら、ベランダに出て、午後は黙々と土をふるいにかけた。再利用する土と廃棄する土。分けていくのはこのふたつ。東京の寒さは、一月半ばから三月にかけてやってくるから、いまのうちに終わらせておかないと。
冷蔵庫に入れておいたヒヤシンスを出して棚に並べる。ここからぐんぐん芽を伸ばすはず。今年は多めに用意したからとても楽しみ。うまく行けば一か月後、部屋中がヒヤシンスの香りに包まれる。
ふと、園芸を始めていなかったら、私は今頃、何をしていたのだろうと考える。ゲーム三昧のお正月だったかな。無理してでも海外に行っていたかも。
ゲームソフトはこの間、まとめて中古ソフト屋に売ってしまった。残っているハードも処分しようと思う。この頃、物を手放すことができるようになってきた。これは結構な進歩だと思う。申年、もっと身軽になりたい。自分の中身を入れ替えたい。

 

 

44.心の健康

TLTSA44

先週の連日打ち合わせで疲れてしまったのか、全然元気が出ない。机に向かう気分にもなれない。年賀の挨拶に電話をかけたついでに妹に愚痴ったら、妹がひとこと。
「初売りでも行ってくればいいじゃん、いま9時47分だけど、お姉ちゃんの部屋からなら10時の開店に間に合うよ」
確かに!行く予定などなかったけれど、その言葉に俄然、その気になり、電話を切って大急ぎで出かける支度をする。そうだそうだ、大晦日にお蕎麦を食べた帰り、Tデパートで目ぼしいをチェックしておいたんだっけ。

そして初売り(=セール初日)に参戦した私はビシッと買うものを買い、初売り期間中は宅配無料だというので配達を頼み、すっかりハイな気分になって帰宅したのでした。家に着くと微熱38度弱。その後、ずっと眠る破目になったけど、心が元気を取り戻したんだから、初売りに行って良かったということよね、ああ、いい一日だった、とひとりごち。
買いものってすごい。一発で効く薬みたい。高いけど。

43.Look Closer

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元旦。いつも通りの時間に起きて仕事を少し。特に出かける用事もなく。

夜、DVDで『アメリカン・ビューティ』を観る。いい映画だった。妻は外に恋人を持ち、高校生の娘は家出しようとする、主人公の中年男性は、広告代理店をリストラされ、ハンバーガースタンドの店員へと転職――要素だけ並べれば、家庭が崩壊していくように見えるのに、実は家族それぞれがどんどん自由を取り戻していく、つまりどんどん真の幸福に近づいていく話だった。そして、ひととしての優しさも一家は取り戻しかけるのだが。なにしろ脚本がいい。タイトルもいい。邦題では削られているサブタイトル、“look closer”。もっとよく近づいて見て、というのは、孤独を感じている人間、誰しもの願いなのかも、と考えたり。だけど、物語は悲劇で終わる。そして、悲劇で終わるのに、それでも暖かい気持ちになるストーリー。そこがまたいい。本当にいい脚本。最後のモノローグが最高。

《こんなことになって腹が立ってるか?
美のあふれる世界で 怒りは長続きしない
美しいものがありすぎると それに圧倒され
僕のハートは風船のように破裂しかける
そういう時は 体の緊張を解く
すると その気持ちは
雨のように胸の中を流れ
感謝の念だけが後に残る
僕の愚かな とるに足らぬ
人生への感謝の念が

たわ言に聞こえるだろう?
大丈夫
いつか理解できる――》

アカデミー賞受賞作と知らずに借りたのだけれど、元旦からいきなりアタリをひいたような気分。

 

 

42.去年の大晦日

TLTSA42

2015年、最後の日。昼寝をしていたら、寝過ごしてしまった。バタバタと支度をし、待ち合わせ場所へと走る。こんな日でも打ち合わせがないとは限らない、それが社会人。
途中、Kさんも合流、Mさんと私、ガラガラにすいたカフェに三人陣取る。来年にはこの計画も現実になるのだろうか。下準備の長いプランばかり抱えているいまの私だけど、予定通り進めば、どれも来年は形をみせるはず。
折鶴を思い浮かべる。羽を広げる瞬間の折鶴を。あんな風にうまく形を成せばいいけれど、どうなんだろう。わからない。先のことは。
帰りにKさんとお蕎麦屋さんへ。Kさんは天ざる。私は鴨南蕎麦。お蕎麦の後、コーヒーを一杯だけ飲んで帰宅。
体が疲れているせいか、年を越す実感が湧かない。今年は最後の最後まで仕事が入っていた。
去年の大晦日は、甥と映画を観ていた。新宿ミラノへ行って、入れなくて(閉館前のファイナル上映)、結局、もちもちでふわふわの『ベイマックス』を観た。はぁ・・・もう一年かあ。

 

 

41.二年目の雲

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今年最後の《memorandom》ミーティング。来年に向けて新しい企画の準備、大晦日/元旦の更新の確認など。仕事の傍らの活動なので手が回らないことも多いけど、晴天の雲の如く、ふわふわ楽しく漂っています、ウェブマガジン。2年目突入しました。

 

 

40.蚕の吐く糸

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『いわさきちひろ 知られざる愛の生涯』読了。軽めの本と思っていたら、想像以上に深い内容だった。
大まかに説明すると、本書は大正7年生まれのいわさきちひろを、戦中戦後を生きたひとりの女性画家として追うことで、当時の女性の社会的自立状況をも描いている。確かに、あどけない子供の絵に気を取られていると見落としてしまうが、いわさきちひろは、家庭の主婦におさまる女性が大半の中で、手に職を持ち、常に第一線で活躍した職業婦人の先駆者でもあり成功者でもあった。そこに至るまでの苦闘の足跡がこの本には綴られている。

彼女の生い立ちの中で、私が特に驚いたのは、彼女の両親がともに軍部関係者だったこと。戦時、それ自体はめずらしいことではないけれど、いわさきちひろが共産党員であり、また、彼女の夫(松本善明)が共産党衆議院議員だったことを知っていただけに、それは意外な事実と受け取れた。しかし、思想上、親とは正反対なところへ向かっていくことは、彼女の芯の強い性質の表れともいえるし、他にも彼女の穏やかながらも意志的な性格は、本書の中のエピソードの随所に見られた。
例えば、最初の離婚後、両親の暮らす田舎へ戻ったものの、東京育ちの彼女は、詩よりも米を作れ、という土地の雰囲気になじめず、家出をしてひとり東京に戻るところ。講演会に感激した彼女が親に内緒で共産党に入党するところ。のちの再婚相手(松本氏)がいわさきちひろよりもずっと年下だったというのも、時代を考えれば、十分結婚への障害となる条件だ。そこを突破していくあたり、つまり、いわさきちひろは信念を持って生きた人なのだと思う。
お百姓さんが被る帽子を油彩絵具で黒く塗り、キャプリーヌとして被って歩いていた、いわさきちひろ。そんな茶目っ気ある洒落たセンスを持ちながら、その裏には、労働者がきれいな服を着ていたっていいはずだという確固とした彼女の考えがあった。

そんな彼女が紡ぎだす色はいつも優しく美しい。私が小学生の頃、図書館では子供たちが先を争うようにしていわさきちひろの絵本を借りていた。幼い私も見惚れるように彼女の水彩画を眺めていた。そのことを振り返ると、文中にあった一文、人間は複雑な感情を持っているけれども、彼女はそこから蚕が糸を吐くようにしてきれいなものだけを描いていた、という表現は、彼女の作品世界を見事に言い表している。そう、まさに蚕が糸を吐くように――。

 

 

39.先生は知っている

TLTSA39

調子にのって昨日一日机に向かい、ガリガリ仕事を片付けたら、見事に朝から体調不良に。久しぶりに微熱と吐き気。顔を出すつもりだった小西(康陽)さんと曽我部恵一さんのライヴも欠席することに。「少し(快方への)芽が出てもすぐに摘んで使っちゃうひとだからなあ」と言った先生の言葉を思い出しつつ、終日、ベッドで過ごす。ライヴ、観たかったナ・・・。

 

 

38.世間

TLTSA38

日曜だというのに、一日事務作業に没頭。ファイル整理、税理士事務所に送る書類の用意などなど。こんな時期まで面倒な仕事を、と同情されるかもしれないけれど、数字が嫌いではないので、私にとってこれはそれほど大変な仕事ではないのです。
経理書類や法務書類を扱う仕事の良いところは、心を使わずに済むところ。人間関係もそれほど濃くないし、なんといってもひとりでできることが多いというのがいい。他人の感情に振り回されなくて済むしね。その一方で、音楽の仕事やウェブマガジンの制作のように他人との協業は協業で楽しいから、どちらも半分ずつこなしているのが、心のバランスがとれて私は好き。
そのやり方でもう20年以上で働いているから、逆にそれが一番やりやすい人間になってしまっただけかもしれないけれど。

夕方、郵便を出すため、外に出たら、全然車が走っていなかった。世の中はもうお休みに入ったんですね。暦に無関係に働いていると、こういうときに世間とのズレをヒシヒシと感じてしまう。私は農暦(旧暦)で生きている人間だから、今年はまだ一か月あるけどね。いや、でも道がガラガラでホントびっくりした。

 

 

37.大人の愉しみ

TLTSA37

今日は、一日かけて、ショップに出すサプライズボックスを作っていた。ハサミで切ったりノリで貼ったり、コピーにかけたり、そういう作業が私は大好き。一日机に向かっていても飽きることがない(原稿書くのは飽きるけど)。結局、65個ぐらい作ったかな。でも、これ以上は作りません。これ以上作ると自分がしんどくなっちゃうから。楽しいな、ぐらいでやめておくのが物作りを続けるコツ。だから、サプライズボックスは3種合計65個の完全限定盤ということですね(中にコンピレーションCDが入っている)。というか、Tシャツやマグカップみたいに版下を業者に入れたら無限に作れる、みたいなものにはそんなに興味がないのです。ひとつずつ違う、とか、自分の手を動かすのが好き。そして、開けた瞬間にワーッと盛り上がって、その後、わりとどうでもよくなるものが好き。ポテンシャルを作るのが好きと言えるかもしれません。

夜は、公開当時から駄作駄作と言われた挙句、3週で打ち切られた実写版『ガッチャマン』をDVDで観た(あまりにひどい言われようなので逆にずっと観たかった)。で、やっぱり笑っちゃうほどひどかった。真面目に演技している俳優さんが可哀相になったもん。ドラマも松坂桃李と綾野剛と突然登場したナオミという女(誰?)の三角関係物になっていて、子供の頃リアルタイムでアニメを観ていた私は、これ、ガッチャマンじゃないじゃん・・・と。でも、岸谷五郎の南部博士のコスプレも面白かったし、少し前に観た『共喰い』でウォーッと大声をあげながら射精(?)しているシーンがあまりに強烈だった光石研がカークランド博士という役名で出て来たり(カークランドって顔じゃないよ!)、まるまる笑えたからいいか、という気に。ひどいけど面白い、面白いけど二度は観なくていい映画『ガッチャマン』。要するに、今日、私はボックスづくりと『ガッチャマン』を観ることしかやっていないということです。